日本人で好きな作曲家 黛敏郎

日本で有名なクラシック音楽の作曲家と言うと武満徹を上げる人が多いですが、この方たちは実際に彼の音楽を聞いたことがあるんでしょうか?

武満が世界的に有名になったのは、雅楽などの日本の音階で、尺八などの日本独自の楽器を使った ノーベンバー・ステップスという曲をニューヨークで発表して絶賛されたからなんですが、これは単に物珍しさからではなかったのか?

その後、武満はミニマル楽派に近い、キレイなメロディをユニゾンで弾くという非常に単調なピンク・フロイドか?というような音楽を作り始めます。単調で面白くありません。

黛敏郎の音楽は、メロディと伴奏というクラシックからポップスまで普遍のアンサンブルでは作られていません。どちらかと言うと倍音成分をユニゾンのように使った音楽が短時間で変化する音楽といういより音響に近いものです。いわゆるスペクトラムと言われる手法です。知性の中にある感情より本能にある感覚が刺激される、まさに現代の音楽です。

この曲でお経を合唱に取り入れたセンスは大したものだと思います。コーラスのように音程が整えられていない多人数でリズムが揺らぐ読経は彼の音楽スタイルにぴったりです。というより、日本的な感性を歌いながら西洋の和声という響きにどっぷり嵌った武満などの日本の現代音楽に、黛敏郎は 声明などの日本独特の響きの感覚を主張したかったのではないのだろうか?

黛さんも岩城さんも涅槃の彼方に逝かれました。黛敏郎涅槃交響曲でございます。

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ベートーベン バイオリン協奏曲

ヴァイオリンの協奏曲はピアノ協奏曲に比べて少ないです。オーケストラと同じ音色の楽器ですし、音量も小さいわけですから作りにくいんだと思います。

そのヴァイオリン協奏曲で私の好きな作品を残したのは、ベートーベン、ショスタコーヴィッチそれにシベリウスです。他は、ブラームス、ドヴォルザーク、サン・サーンスなんかでしょうかねぇ。

その中でも、ベートーベンのが一番好きです。高揚感と肯定感が優しさや切なさと渾然となった ベートーベンの中期の音楽の代表と思います。伸びやかに歌っていくヴァイオリンの旋律を聴いていると、交響曲第3番の1楽章を彷彿とさせます。交響曲よりもっと繊細で感傷的ではありますが。

この曲は、ヴァイオリニストにとってとっても難しい曲ではないかと思います。ブラームスのように、伴奏がガッチリしていて適当に弾いているだけで様になる曲ではありません。ベートーベンにしたら、構成がガラガラで伴奏が弱く、隙間だらけの音楽です。その上、伴奏が追随的で、バイオリンが音楽を作って引っ張っていかないといけません。テクニックだけでなく、音楽を持ちこたえさせる能力が必要な表現の難しい曲だと思います。

きっと、ベートーベンは伴奏に埋もれるヴァイオリンの処理に困ったんだと思います。ソロ楽器として目立たせるためのベートーベンの結論だったんでしょう。だから、ベートーベンはチェロ協奏曲なんかも書いていません。ピアノを入れれば大丈夫と思ったのか、同じ時期にピアノとヴァイオリンとチェロの三重協奏曲は書いていますが。

この時期は、ベートーベンは、アンサンブルの機能や音楽の運動性を楽しむ古典派から、メロディラインと伴奏という音楽の表現力を楽しむロマン派に移っていった時期でもあります。

この時期、ベートーベンは交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ曲で傑作を量産しました。この時期独特のベートーベンの音楽が持つ伸びやかな音楽を聞いていると、本当に心が元気になります。その代表がヴァイオリン協奏曲です。

youtubeで一番面白いと思った演奏がこれです。起立形式の室内管弦楽団で、ガット弦のピリオド奏法や管では古楽器を使い、楽譜もi-pad。いかにも「今」ですな。 オーストリアの地球の裏側のオーストラリアからチャレンジするんですから、相当な意気込みだと思います。スタイルが新しいだけでなく、ものすごく演奏の質も高い。それに比べ、お芸術の上に胡座をかいてる日本のオケときたら・・・。

日本でもこういう室内管弦楽団ができてこないですかねぇ。オーストラリア室内管弦楽団。

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音のカテドラル ブルックナー交響曲5番

ブルックナー、バルトークそれにショスタコーヴィッチと、女性から理解がえられない音楽が大好きな陰キャの私です。

ブルックナーの音楽は独特で、私が知らないだけかもしれませんが、ああいう音楽を作った作曲家は他にいません。

普通の音楽は、ロックからクラシックまで、旋律や和声 が時間経過とともに展開して音楽は形作られます。音楽理論以前に、「時」というものが音楽の法則で絶対的な要素です。そこが絵画や彫刻とは違うところです。

ブルックナーは、その「時」の法則からはみ出た音楽を作ったと私は感じます。ブルックナーが意図的に挑戦したわけでなく、自分の音楽を作ろうとして結果的にそうなったんだと思います。ブルックナーの音楽に、そういう意図的なところがないからです。

ブルックナーが作品を作った当時は、演奏者からのウケは良くなかったようで、何度も書き直したりしています。こんなヘンテコな音楽をどう演奏すればいいのかやりづらかったのだと思います。

ブルックナーの音楽ではメロディ・伴奏が時間にしたがって流れていくという音楽の普遍の構成ではなく、個々の音響が空間に配置され凍りつき、それが巨大な音の建造物を作るようなことになります。時間の流れという要素は少なく、音響が作る巨大な空間で時を忘れて佇んでいるような錯覚に見舞われます。

まるで巨大なカテドラルの中で、尖塔の下の闇とステンドグラスからの光の散乱に吸い込まれていくようです。だから、ブルックナーの仕事は、巨大な音空間が作れる交響曲の作曲と、教会でのオルガン演奏が主要な場でした。

こういう感情表現としての音楽ではなく、なにか絶対的なものへの帰依を感じられる印象から、ブルックナーの音楽は宗教性が強いと言われるんでしょうか? 確かにあの音楽には、無宗教の私でさえヨーロッパのカソリック教会の中に入って感じざるをえない人為的な神秘性を感じます。

こんな音楽を作った作曲家は他にいません。もう神秘体験の中でトリップしているようです(注:作者は薬物によるトリップ体験がないもので想像です。)。その中でも特に巨大な音空間を感じられるのが交響曲の5番と8番です。

チェルビダッケのブルックナー、交響曲第5番。カラヤンとともに巨大な音空間を作る指揮者です。その様子が指揮ぶりからよく分かります。

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日本で最高の声楽 声明

京都の東本願寺を偶然訪れたときに、4人の僧侶がお経と言うより声明を広い本堂で唱えていました。伽藍堂で天井の高い本堂に独特のモードの旋律が響き渡る素晴らしい体験でした。

確かに、日本の声明にはオペラなどのように際立った技巧はありません。しかし、ヨーロッパのコーラスや宗教音楽のグレゴリオ聖歌などと並ぶ素晴らしい音楽だと思います。

何より、日本人に私には、クラシックやロックなどの西洋音楽を聞くときにある「知性」という壁がなく、脳や心ではなくてもっと根源的な生や死という部分に直接飛び込んできます。ソコを狙って技巧の限りを尽くしてもあまりうまく行かなかったメシアンなどよりよほど素晴らしい。

ただ、残念なことにCDやストリーミング、動画でマトモな声明はあまりありません。この動画は私が聞いた声明の中で最高のものです。

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陰キャの極地 ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏

私の一番好きな作曲家の一人です。ベートーベンの次くらいに好きです。理由はシンパシーという主観的な側面。そして、作品のクオリティや作曲技能という客観的な面でも最高に評価しています。

しかし、ショスタコーヴィッチでも交響曲は好きではありません。ソビエト政府の検閲などあったんでしょうが、伽藍堂で満たされない。それに対して、大きなホールで大人数を対象にしていなかった室内楽などは検閲が甘くショスタコーヴィッチが結構好きに作れたと言われていて、もう陰キャの極地の充足が味わえます。本当のところは分かりませんけど。

その中でも弦楽四重奏曲は最高です。主観的に見ても客観的に見ても、これほどの室内楽を残したのはベートーベンとバルトーク以外はいませんが、バルトークは作品数が少ないです。負けず劣らずのクオリティで、作品数も考えると、後はハイドンぐらいでしょう。

室内楽でもピアノが入っている曲は駄目です。ショスタコーヴィッチはピアノ協奏曲からピアノ・ソナタに至るまでピアノが入ると良くない。優秀なピアニストであったショスタコーヴィッチのピアニストとしての表現意欲が全面に出て、めっちゃ甘ちゃんな曲になります。作曲家として頭の中を五線譜に描き移した純粋な創作ではなくなるからだと思います。

どの弦楽四重奏が特に好きというわけはありませんが、一番マトモな演奏の動画が残っていたのがコレ。さすが、エマーソンは上手いですな。けど、中庸すぎるんです。

オールドスタイルだが、最高レベルの弦楽四重奏団。スタイルは先輩格のラ・サールに似る。

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客観的にも主観的にも素晴らしい ハイドン

クラシック音楽のアンサンブルの基礎をすべて築いた偉人です。アンサンブルが分かりやすく、聞いていて面白い作曲家です。音楽の構成がスケルトンのように素人にも見えて、音楽がどう生まれすのか本当によく分かる。特に、こういう古楽器の演奏だと、響きが薄いので一段とハッキリと分かります。

もちろん作品も素晴らしい。モーツァルトやベートーベンに比べて人気がないのは、オペラのアリアのようなメロディーラインやロマン派につながる後期古典派の感情表現がなく、音楽の構成の妙で聞かせる作曲家だからと思います。そんなものマニア以外は興味がないでしょう。

私は、この80番代くらいの交響曲が一番好きです。快活でエネルギーがあって、よく歌う。この演奏は、古楽器やピリオド奏法というだけが売り物でもないようで、素晴らしい生命力のある演奏を奏でてくれます。知らないオケですが、素晴らしい演奏です。

もう今や、どのオケが素晴らしいとか悪いとかはなく、田舎の名前も知らない地方のオケでも十分に素晴らしい能力を持っています。そして、そういうオケは特徴を出して大都市の有名なオーケストラに勝負を望んでいきます。

まさに大企業に望むベンチャー企業のようで、その清新さやエネルギー溢れる演奏は素晴らしいことが多いです。きっとメンバーは収入面などで大変だろうし、マネージャーはスポンサー探しであくせくしてるんだろうけど、頑張って欲しいものです。

以前、橋下知事時代にオケの補助金をやめると言って、大阪のオケは困っていましたが、ソラいつまでもあんな旧態然とした代わり映えのしない演奏をしていれば当然でしょう。いつまでも「お芸術」の上に胡座をかいているからです。こういう演奏の爪の垢でも煎じて飲めばいい。

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ミサ曲の帝王 ルイジ・ケルビーニ

最高のミサ曲は? 私が聞いたことがある中では、多分、バッハのロ短調。

けれど、数多くのこの手の声楽曲を、非常に高いレベルで仕上げた作曲家は間違いなくルイジ・ケルビーニとハイドンだと思う。本当に、安心して身を委ねてあの世に連れて行ってもらえます。

忘れ去られていたケルビーニのミサ曲の全集を録音して再評価を促したムーティは素晴らしいと思う。もちろん、指揮者としても超一流です。恰幅の良い、オケをよく鳴らす指揮は安心して身を委ねられます。

ところが、ムーティの動画はレクイエムしかない。ということで、ミサ曲で唯一まともな録画があったのはこれです。

もちろんいい演奏だと思います。というより、こんな構成のしっかりとした古典派の音楽でプロがやってメチャクチャになることなんてないと思います

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至芸 ルービンシュタイン・リサイタル

そりゃあ、今のピアニストは上手いです。けど、こういうピアノを弾けるのはいなくなりました。

そっけなく、もったいぶったりもせず、どちらかと言うとぶっきらぼうに弾いてるだけなんですけど・・・なんとも言えない粋がある。インスタ映えじゃないけど、人生の良いところだけを凝縮したようなピアノの音。聞いているだけで、幸せに、そして自分の人生が惨めになる。

若い頃はテクニシャンとして鳴らし、老境を迎えても演奏にキズが付かないレベルの技術を維持しながら、長い演奏経験を生かして洗練の限りを尽くした音楽を作るようになる演奏者がたまにいる。バックハウスというピアニストなんかもそうです。技術的には劣りますが、私の大好きなゼルキンなんかもそうです。

こういう演奏者はいなくなりました。アルゲリッチもポリーニも、年齢や故障で技術が衰えると聞くべきものがなくなる。どこに差があるんでしょうかねぇ。

私の夢は、十代の頃からルービンシュタインのピアノのようなジジイになることでした。ある意味、それは今も変わりません。無理でしょうけどね。

1964年モスクワでのリサイタル。ルービンシュタイン77歳の演奏。このジジイの色香ときたら・・・。

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大好きな室内楽 ドヴォルザークのピアノ四重奏

ドヴォルザークの室内楽、とりわけピアノが入った3重奏や4重奏が大好きです。

ブラームスと同じ時代に生き、ブラームスに匹敵する音楽性と作曲技術を持っていたのに、なぜかドヴォルザークは軽く扱われる。

モーツァルトやベートーベンが貴族や教会をパトロンとしていた時代から、この時代は産業革命で金を持った平民に音楽が開放されていく時代でもありました。ブラームスは、台頭してきたブルジョワや平民出身の知識層相手に「オレって分かってるんだよね。」的スノッビーな音楽を書いて満足させていた。保守的な顧客に、コテコテの作曲技法をひけらかし、人生の哀愁を訴える音楽を書いた。

日本人、特に「オレは音楽を分かっている」的クラオタにブラームスが受けが良いのは、やはり保守的な日本人の中でも、とりわけそういうスノッビーなクラオタの感性に合ってるんだと思います。

同じ時代に、「北欧神話」の世界さえ再現していれば、調声を壊してチャレンジいてもOKという偏執狂のパトロンに囲われていたワーグナーとの違いは、顧客とビジネスの差でもあったのでしょう。

私のように知性が欠落している下僕は、ブラームスなんて面倒くさくって聞いてられるか~い。それに比べて、ドヴォルザークのなんと正直で心優しい音楽なことか・・・ブラームスも初期の頃はこういう音楽を書いててんですけどね・・しかめっ面のビジネスに嵌っていったんですな。

私、ドヴォルザーク大好きです。冬に暖かい部屋で聴いてると最高です。

これ、伸びやかでええ演奏ですな。ピアノ4重奏の2番どす。

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大好きな弦楽四重奏曲 バルトーク4番

バルトークの頂点の時期の名作です。

バルトークの内省的な知性とハンガリーの野性味溢れる血が組み合わさり、無調整の皮膚感覚を刺激する静寂から暴力的な舞踏までが渾然となった名曲。

私見ですが、バルトークはこの作品の後、アメリカに渡って駄目になった。同世代のラフマニノフやシェーンベルグ、ストラヴィンスキーが米国に渡って大成功したのを横目に、極端に内向的なこの男まで追随した。

ラフマニノフは元から大衆的だが、シェーンベルグやストラヴィンスキーは権威を保ちながらもアメリカ人に迎合することに成功した。けど、正直すぎてプライドが高すぎたこの男は社交的にも作品的にも破綻したんだと思う。

バルトークは、 従来の音楽理論を突き抜けるために 、自分の血となる東欧の伝統音楽のルーツに、無調整という当時の最先端の知性を取り入れた。この時代、バッハやベートーベンの伝統的な音楽理論で先人の天才たちが作り尽くし、新しい作曲技法が求められていたんです。私はこの当時の作曲家の中で、バルトークとベルグが好きです。というより、ベートーベンとショスタコーヴィッチの次くらいに大好きです。客観的にも優れた作品が多いと思います。

ボッティチェッリ の前でバルトークを弾くって、パロディっすか?

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私の好きなピアノ曲 ベルグ ピアノ・ソナタ

最初にこの曲を聞いたときに、私はビル・エヴァンスの演奏かと思いました。

この曲は、アルバン・ベルクという作曲家が、20世紀の前半の作曲界のムーヴメントの最先端として作った曲です。

ヨーロッパの芸術としての音楽は、教会音楽の旋律を組み合わせた対位法から、やがて和声と言う概念が取り入れられ古典音楽へと進歩していきました。その後200年間は旋律を主体にしたり、大規模にしたりとロマン派に進んでいきましたが、音楽の根本的な和声や旋律の「文法」には変化がありませんでした。

そして、その文法を使って先人の天才たちが作れるものは全部作って、もう新しいものが作れなくなった20世紀、その文法を全否定して始まったのがベルクたちの音楽です。

ビル・エヴァンスはモード・ジャズの代表的なピアニストです。ジャズも、バップという従来のコード進行とコードの中の音だけを使うアドリブ演奏の限界を迎え、1950年代後半から斬新なコード進行やコード以外の音も取り込んだ旋律=モードを使った演奏が始まりました。

前者の第一人者は、ジョン・コルトレーンでその独自のコード進行は、ベルクと同時代に民族音楽を元に斬新なコード進行を試みたクラシック界の天才バルトークと似通っています。後者の第一人者は、マイルス・ディヴィスやビル・エヴァンスです。音をコードで規定することなく、コードの基音や属音に関連する音も含むモードにコードを開放してより自由度の高いアドリブを可能にしました。

違う時代に違うところから進歩した音楽は、実は似通っていたのです。結局は、人間が考えることっていうのは限りあるものかもしれません。

そんなに難しい曲ではないですが、名手 マルカンドレ・アムラン によるベルグのピアノ・ソナタ

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陰キャの見栄 マーラー 交響曲6番

マーラーで一番派手で充実した曲です。1番はまあ習作っぽいんですが、2番と3番はドンガラは大きいが、中が伽藍堂なオーケストレーションでまだまだ作曲家としての技術不足です。オーケストレーションが充実してくるのは5番以降になるんですが、その中でも一番派手な曲です。

マーラーから200年ほど前の古典派の時代とは違い、楽器も人員もほぼ現代のオーケストラと同じものとなって、その近代的なオーケストラの機能を最大限に発揮させた曲です。マーラーの曲は、 内気で癇癪持ちの根暗の陰キャが、もう目一杯見えを張って大きく、派手に自己を演出したような曲ばかりですが、この曲は特にその色合いが強い。

ということで、過剰演出のこの曲の音響の渦になにも考えずに身を委ねれば、「自己拡大したいいとこ取りの音楽」の中で至福の時間を味わえます。

私的には、創作の内容的にもこの6番、そして私が一番好きな7番がマーラーの頂点だと思います。9番を高く評価する方もいますが、確かにあれは当時流行りつつ合った無調声にチャレンジした曲ですが、チャレンジの分音楽の構成は却ってモノフォリックになってしまい、マーラーの「オレはあっちもこっちも・・」という自己拡大のポリフォニックな分裂症が味わえずに面白くありません。

そして、そういう曲ですから、また古典派のアンサンブルとは違った「鳴り」という面でのオーケストラの能力が必要になる。

そこで見っけたのがこの動画。ホンマにええオケですなぁ。ため息が出ますわ。アンサンブルの作り方といい、鳴らせどころのタメの作り方といい、オケのメンバーがホンマによう分かっていて自発的に音楽を作り上げている。指揮者の作り上げた時間のマス目の中で、100人の独奏者が音楽を作り上げていく。昔のベームとウィーン/フィルさえも彷彿とさせます。

さすが、現代の最高水準のレベルのオケの実力です。

しかし、これだけアンサンブルが合うというのは、メンバー構成にもあるのかもしれません。他のオケのように国籍バラバラ、皮膚の色もバラバラというオケではない。やはり、生まれ持ったリズムや節回しが共通だというのは大事だと思うんですよ。

最高レベルのオケ、フランクフルト放送交響楽団の見事なアンサンブル、N響に爪の垢でも・・。

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ベートーベン 交響曲8番 Part3

何種類かベートーベンの交響曲全集は持っていますが、その中で一番よく聞く新鮮で面白い演奏がアーノンクールがヨーロッパ室内管弦楽団を指揮したのです。

古典派の音楽は構成がガッチリと決まっているので、なかなか特徴が出せない。そこで、古楽器を用いたり、ピリオド奏法を取り入れたりと、要するにアンサンブルを工夫するより音楽の構成そのものを変えるような手っ取り早い手法が最近は取られます。

まあ、演出を工夫するより、役者を変えたほうが楽で簡単だというわけです。

その中で、これほど工夫を凝らし、いままで聞いたことがないアンサンブルや響きを、もう手垢の付きまくったベートーベンから引き出せる指揮者はいません。聞いていて、これほど面白いベートーベンはそう聞けるものではない。

私、アーノンクールをめっちゃ高く評価しています。 けど、そのアーノンクールも後期ロマン主義なんかでフルオケをやると、旋律とカウンターパートと伴奏と言うガラは大きいが単純な音楽ですから、やはりアンサンブルの妙が聞かせられないので凡庸になってしまいます。

そのアーノンクールも最近亡くなりました。 いつまでも音楽に新しい発見と歓びを求め、晩年を「成熟」や「老境」に逃げなかった見上げた男です。

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ベートーベン 交響曲8番 part2

コチラはフルオケのオールドスタイル。ピリオド奏法なんて薄い音響は一切なし。

フルオケで鈍重な演奏形態のはずが、このスピード感とダイナミズム。それに、本当に寸分の狂いもないアンサンブル。すべてのパートのメンバーにまったくズレがない。まるでポリーニやリヒテルのピアノのようです。

30年も前の演奏ですが、長年演奏をしてきたカラヤンとベルリン・フィルのコンビには、進歩した今の優秀なオケでも太刀打ちできないことが山程あります。

これほど音楽を敬愛し、丁寧で、心のこもった演奏があろうか。 そのカラヤンとベルリン・フィルの実力を見せつけるのにピッタリな曲です。CDはもっとえげつないでぇ~。私は、録音が残っている中で最高の指揮者はと聞かれたら、なんの躊躇もなくカラヤンを挙げます。

これを聞いて「カラヤンの音楽に魂がない」とか「カラヤンは商業主義」とか言う言葉だけで片付ける御仁がいたら、いつまでも「心はバーンスタイン」っていうグラモフォンの宣伝戦略に乗せられている愚かしさを恥じるといいと思います。

ちなみにこんな映像を見て、「カラヤンの指揮はカッコつけ」「バーンスタインの指揮は熱情的で心がこもっている。」という方がいたら、あまりにも愚かです。どう演奏するかなどリハーサルで決まっているのです。だから、メンバーなんて指揮者見てないじゃん。

いくらイキリたッても、コンサート中に数十人のメンバーに指示できるなんてない。本番の指揮者の仕事は、「オラ、練習通りヤレよ」「ダレたことすんなよ」と睨みを効かせることです。イキがった姿はただのパフォーマンスでしかないんですよ。ムラヴィンスキーなんて言うカラヤンと並ぶ有能な指揮者は、演奏中眉一つ動かさず、指揮棒をメトロノームのように機械的に動かしながらメンバーを睨みつけているだけです。

カラヤンとベルリン・フィルの名演。当時はまだ西ベルリンだった。

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引きこもりの集大成 ベートーベン交響曲8番

演奏される機会も少なく、ベートーベンの中でもマイナーな曲です。

ベートーベンは古典音楽の後期に出てきた音楽家です。古典音楽は「自己主張」のための音楽ではなく、和声とアンサンブルの調和と可能性を追求したもので、音楽に「感動」を求める現代のリスナーには不人気な音楽です。

音楽の構成の機微を楽しむものですから、ハイドンなんてのはあまり聞かれない。しかし、ハイドンは貴族宅に囲われ外部との接触も少なく、独自で古典派の音楽に必要な演奏様式を築き上げた、音楽史上最大の功労者です。古典音楽は引きこもりのオタクが生み出した至高の音楽です。

オーケストラも室内楽も、ハイドンの作った演奏形式で、その後数百年、現代でも作曲され演奏されている。それだけ合理的で、後人には変えるスキもなかったんです。

そのハイドンの延長線上で音楽を作ってきたのが古典派の音楽家たち。モーツアルトとベートーベンとシューベルト以外はほとんど聞かれません。

古典音楽でも、オペラや歌曲を活動の柱として旋律が音楽の大きな要素だったモーツァルトとシューベルト、それに古典派とロマン派の中間のような強固な構成を保ちながら自己主張の強い音楽を作ったベートーベンが人気なのは、「音楽は感情の表現を楽しむもの」という現代の我々のニーズにマッチしているからでしょう。

でも、ハイドンの交響曲なんか、モーツアルトはもちろんベートーベンにも匹敵する作品はいっぱいあるんですけどね・・・。ウソだと思うのなら、フルオケで演奏されたカラヤンの傑作、後期ハイドンの交響曲集でも聞けば納得されると思いますよ。スケールが大きく、ベートーベンなんかに引けを取らない音楽だとよく分かります。

私は、古今東西で「最高の作曲家」と言われたら、なんの躊躇もなくベートーベンとハイドンを挙げます。

そして、その古典派の最後期、ベートーベンが人生で最後から2番めに作った交響曲がこれ。人気がないのは、旋律美などなく、古典派の技術とセンスの粋をベートーベンが注ぎ込んだ古典派音楽の集大成だから。

この曲は音楽の構成を楽しむものです。5番や3番などに比べて劣っていると言う方も多いが、見当違いです。モーツァルトよりマーラーのほうが良いと言ってるようなもんです。この曲のアンサンブルやリズムの処理は驚くべきものです。シンコペーションまみれの曲は演奏も難しい。シューマンのラインと並んで、ものすごい曲者です。

その中でひときわ異彩を放っている演奏がコイツ。アンサンブルがお互い合わせようとなんかしていない。お互い目一杯自己主張をし合った上にアンサンブルが成り立っているジャズのカルテットのような演奏です。こういうアンサンブルは、クラシックの室内楽でも最近は多いですが、パートも人数も多いオーケストラでここまで徹底した演奏というのは他には知らない。

凄まじい音楽のエネルギーを支える演奏技術とアンサンブルの精度には感服します。ベートーベンが古典音楽の集大成に込めた「音楽の面白さや楽しさ」を思う存分味わえます。もすごく面白く魅力的な演奏です。

NHK交響楽団を振っているのと同じ指揮者とは思えない・・N響って・・残念すぎる

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ヴィオラの名曲 ショスタコーヴィッチ ヴィオラ・ソナタ

卓抜した作曲技法と知性を兼ね備えたショスタコーヴィッチが人生の最後に選んだ楽器がヴィオラ。ショスタコーヴィッチは体の状態から死期を悟っていたはずだ。そこで、選んだのが、この前も書いたように、ブツクサと独り言を言いながらキレてるような音の楽器です。

最晩年のショスタコの作品は弦楽四重奏曲の15番といい、「墓場の音楽」と揶揄される陰キャを通り越したもの。ただただ消えゆくような孤独の中で歌われる。

ショスタコの友人であり初演も多かった名指揮者のムラヴィンスキーは、音楽に関しては 厳格で、指揮の最中も眉一つ動かさない。その彼が、ショスタコの死後初演されたこの曲を聞きながら、コンサートホールでひと目も憚らず子供のように泣きじゃくったという。

「ソ連」生まれの歴史的な名演奏家のコンビでどうぞ。

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ヴィオラの名曲 シュニトケ ヴィオラ協奏曲

ヴィオラは地味な楽器です。ヴァイオリンのように輝かしい音色があるわけでもなく、チェロのように深い音と、演奏そのものが景色になる存在感があるわけでもない。体格の小さな日本人なんか持ったら、大きすぎるヴァイオリンになって、めっちゃブサイクです。そして、籠もっては曇ったような音。私達がブツクサ少しキレ気味に独り言を行っているような音色です。

ヴィオラはソロで扱われることはほとんどなく、オーケストラでもリズムを刻みリフを弾くというサイドギターと同じ扱いです。一番ひどく扱った戦犯はベートーベン。まるでリズム楽器の待遇です。

その少しキレ気味の内省を、ヴィオラの音色で表現した名曲。決してヴァイオリンの真似をして派手に行こうとしなかったのがエラい。

シェーンベルクとショスタコーヴィッチを足したような、面白いが新しさはない安定したカンニング竹山のようなキレ芸。

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ラフマニノフ ピアノ協奏曲3番 part3

このピアノの音・・・ピアノの王者である。素晴らしい。
すべての音の出始めから消えるまでが完璧にコントロールされ、芯のある輝かしいピアノの音がズドンと鳴る。どんな重和音でも一つの響きだけ、速いパッセージでも決して音は混濁しない。常に透徹した音響が響く。
他のピアニストたちの音とは根本的に違う。こういうピアノのコントロールをできるのは、あとポリーニとリヒテルしか知らない。
ロラン・エマールやアルカンなどは音楽性溢れる素晴らしいテクニシャンだと思うし、ブロンフマンやマツエフはラフマニノフやプロコフィエフなどの派手な曲にぴったりなヴィルトゥオーゾだと思うが、前者は音楽、後者は技術を求めるがピアノの音は求めていない。

本当のピアノの王者とは、こういうプレトニョフやリヒテル、ポリーニのようにピアノを完璧に鳴らし切るピアニストを言うのだと思う。

いつもはピアニストに合わせさせるような指揮をするゲルギエフが、プレトニョフ相手に遠慮して合わせに行っているのが面白い。

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チェロの名曲 part2

チェロの名曲というとバッハの無伴奏の他、ドヴォルザークの協奏曲を上げる方も多いと思うが、それって「名曲100選」とかに載っている受け売りだけではないんだろうか。

ドヴォルザークなどは、やはりチェロの鈍重さから抜け出せずに、ヴァイオリン協奏曲のほうがよほど良い出来だが、こちらはソロ楽器として通用するのでハイドンから、ベートーベンやブラームスはもとより、20世紀のバルトークやショスタコーヴィッチに至るまで名曲目白押しでそれ程目立たない。

チェロ協奏曲の筆頭としては、チェロの深い低音を生かしたショスタコーヴィッチの2曲、とりわけ2番が素晴らしいと思う。もう陰キャの極楽であリましょう。この動画、チェロを全面に出さずオケと一体になって、オケの音の中で深い低音が沈潜する演奏になっている。録音の加減もあるのだろうが、それがまた素晴らしい。

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チェロの名曲

ヴァイオリンに比べ鈍重な楽器。そりゃあ、低音の伴奏部に使うドンガラの大きな楽器で弦も太く弦高も高い。ソロなんかするのはどう考えても無理がある。

バッハの無伴奏が有名だが、バッハ得意の多声の対位法をチェロに持ち込むのが土台無理。それに加え、対位法の可能性を譜面に書きなぐったバッハ自体、楽器の響きを生かしてという作曲家ではない。

チェロの低音の深い響きを活かした作曲家は、ショスタコーヴィッチとブリテンだと思う。

特に、この無伴奏は、それまでブリテンという作曲家を軽く見てきた私を土下座させた曲でございます。ブリテンの室内楽は素晴らしい。

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